53番 圓明寺から59番 国分寺まで(2日間コース)

53番から59番まで2日間コース53.7kmです
53番 圓明寺をでてしばらく歩くと瀬戸内海が見える様になります。松山を出て
北条市、今治市と瀬戸内海を左に見ながらしばらくは平たんな道が続きます。
愛媛の人はお遍路さんにやさしいお接待攻勢にうれし涙します。
ビバークは公園や大師堂をお借りする、中でも青木地蔵はご推薦です。
これから先は札所間距離が短く一挙に打ち続ける事になります。
お遍路も終盤になり心中複雑になる今日この頃です。


<各札所と野宿候補地、温泉、銭湯の情報ーー場所情報はKMLファイルに入っています>

53圓明寺(えんみょうじ)
愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺。聖武天皇の勅願により和気西山の海岸に創建され江戸時代に現在地に再興された。ご本尊は行基菩薩作の阿弥陀如来。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌:来迎の弥陀の光の円明寺 照りそう影は夜な夜なの月





(野宿適地)
太山寺 奥の院
遍照院(厄除大師)
瓦のふるさと公園
青木地蔵
伊予亀岡駅
五郎兵衛大師
星の浦海浜公園
藤山健康文化公園
粟井坂大師堂
西ノ下大師堂
お堂
別府公園
赤大師
養護院(杖大師)
鎌大師
阿弥陀堂
あさなみ駅
小竹地蔵堂

54延命寺(えんめいじ)
愛媛県今治市阿方にある真言宗豊山派の寺院。寺の創建は行基菩薩が不動明王を刻み本尊として安置した事に始まる。当時は近見山頂にあった。その後、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が再興し近見山円明寺と号した。その後度々兵火に会いその度に寺は移転し、やがて山の麓に移建された。明治以降に延命寺とあらためられた。近見山(ちかみざん)、宝鐘院(ほうしょういん)と号す。
本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
御詠歌:くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな


55南光坊(なんこうぼう)
愛媛県今治市にある真言宗醍醐派の寺院。大三島に合った大山ずみ神社の別宮の内の8坊をこの地に移した、その後、兵火で8坊は焼失しそのなかで禄の少ない南光坊のみが再興され、明治の神仏分離まで別宮の法楽所として存続した。昭和の戦災で本堂、薬師堂などをうしなったが近年本堂が再興された。別宮山(べっくさん)、金剛院光明寺(こんごういんこうみょうじ)と号す。本尊は大通智勝如来。
本尊真言:おん まか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか (なむ
御詠歌:このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹


56泰山寺(たいさんじ)
愛媛県今治市小泉にある真言宗醍醐派の寺院。この地の蒼社川は梅雨時に毎年氾濫し人命を奪った、人々は人取川と恐れ悪霊の仕業と考えていた。そこで弘法大師は河原に壇を築き土砂加持の秘法を修された。その時、地蔵菩薩を感得したので一寺を建立しご本尊を安置した。その後、天皇の勅願所となり七堂伽藍も完備の大寺となったが度重なる兵火で縮小し山麓の現在地に移築された。淳和金輪山(きんりんざん)勅王院(ちょくおういん)と号す。本尊は地蔵菩薩。
本尊真言:おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌:みな人のまいりてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ



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S清正の湯

57栄福寺(えいふくじ)
愛媛県今治市玉川町にある高野山真言宗の寺院。嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基した。大師が瀬戸内海を巡錫し内海の風浪海難の平穏を祈って護摩を修されているとたちまち海は穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得しご本尊として安置した。本堂回廊には昭和8年に奉納されたイザり車と松葉杖がある。奉納者は当時15歳で巡拝中にこの地で歩ける様になり、感謝のイザり車を奉納した。府頭山(ふとうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。
本尊真言:おん あみりた ていせい からうん
御詠歌:この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏


58仙遊寺(せんゆうじ)
愛媛県今治市玉川町にある高野山真言宗の寺院。天智天皇の勅により国守越智守興が堂宇を建て開基した。ご本尊の千手観世音菩薩は龍女は刻んだとも言われ天智天皇の守護仏であった。その後、阿坊仙人と称する僧が40年間参籠し突然、天雲の如く忽然と消えた。寺名はその阿坊仙人に因んでいる。作礼山(されいざん)、千光院(せんこういん)と号す。
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:立ち寄りて作礼の堂に休みつつ 六字をとなえ経を詠むべし


(野宿適地)
仙遊寺下休憩所(東屋)

59伊予国分寺(いよこくぶんじ)
愛媛県今治市国分に位置する真言律宗の寺院。聖武天皇の勅願で行基菩薩が開基、七堂伽藍が整備されて諸国の国分寺より豪壮な構えであったが、四度の戦火で茅葺の小堂のみになったが、江戸時代恵光上人が金堂を建立しその後諸堂が再興された。寺には弘法大師の五大尊の絵像、真如上人も法華経の染筆
を残している。金光山(こんごうざん)、最勝院(さいしょういん)と号す。本尊は薬師瑠璃光如来(薬師如来)。札所寺院としては、単に「国分寺」と称するのが通例である。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり

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ルート情報53番から59番(遍)KMLファイル